SINCE 1930. Our History 想いは、時を越えて


宮城 猛 象印ベビー株式会社 相談役 インタビュー

  • 象印ベビーの歴史は、
    ベビーカーとシルバーカーの歴史そのものである。

    象印ベビーの歴史 象印ベビーの歴史 2015年、象印ベビー株式会社は創業85周年を迎えた。
    昭和5年の創業以来、戦前戦後の動乱期、高度成長期からオイルショックやバブル期の盛衰を経た激動の昭和を乗り越え平成の現在に至るまで、会社とともに歩み生き抜いてきた「象印ベビー株式会社 相談役 宮城 猛 氏」に、会社の生い立ちから業界の変遷を克明に訊かせていただいた。
    それは、象印ベビーの歴史であることはもちろん、ベビーカーとシルバーカーの歴史そのものである。

    ルーツ

    「私の父は卯三郎、祖父が友三郎といいます。祖父は当時鍛冶屋をしておりました。今の商売のきっかけというかルーツはその祖父の時代から始まるんですわ。」

         相談役は、インタビューが始まるや否や待ってましたとばかりに勢い良く語り始められた。その語り口調とハリのある声は、失礼ながらとても80歳を越えたご老人とは感じなかった。

    「明治・大正と、当時はまだ人力車の時代でねぇ。鍛冶屋の祖父は人力車のクッションとなる板バネを作ってたんですわ。大阪にはそういった鉄を扱う職人が多くいたと聞きました。それが、時代とともにだんだん人力車の需要も減ってきましてね。自動車や鉄道が少しずつ発達してきてたしね。このままではいかん、なんかせなあかんちゅうことで乳母車をやってみよかと。乳母車はもともとあの福沢諭吉がアメリカから持ち帰ったのが今のスタイルの原点でね。で、鍛冶屋の技術を生かして鉄製の車体に籐のかごの乳母車を作り始めたんですわ。」

         幸い、籐屋さんも大阪に多くのお店があったらしく、そういう意味でも話が早かったのであろう。

    「そこで長男の卯三郎、私の親父ですな。が、大阪の浪速区で本格的に乳母車の製造を始めたのが昭和の5年です。個人経営ですけど、それが今の会社のスタートですわ。籐製品は、椅子とかね、季節もんでっしゃろ。籐屋さんは、夏前には製品のほとんどを出荷してしまいはる。そやから夏が過ぎると倉庫ががらんがらんになってしまうわけですよ。そこで乳母車の問屋としてぎょうさん仕入れて倉庫を満杯にして一生懸命売ってくれはったそうですわ。」

         この時、まだ猛(たけし)相談役はこの世に生をうけていない。お父様卯三郎氏が現在の象印ベビーの礎を築いたのである。

TOPへ→